玉依姫命を祀る乳母神社
いのちを育む神を祀る社 ― 乳母神社の成り立ちと由緒
佐賀県佐賀市富士町の山あいに、静かに鎮座する乳母神社(めのとじんじゃ)。
その名に「乳母」という、全国的にもきわめて珍しい言葉を冠するこの神社は、古代から“いのちを育む存在”を祀ってきた、特別な由緒を持つ神社です。
乳母神社の正確な創建年は明らかになっていませんが、社殿の再建記録からはその歴史の深さをうかがうことができます。
元亀3年(1572年)には神殿の再建が行われ、貞享2年(1682年)には拝殿が再築されたことが伝えられています。
これらの記録は、少なくとも戦国時代以前から、すでにこの地で信仰が受け継がれていたことを示しています。
この神社の由緒を語るうえで欠かせないのが、日本神話に登場する「玉依姫命(たまよりひめのみこと)」の存在です。
玉依姫命は、海神の娘であり、姉・豊玉姫命が産んだ子を養い育てた人物とされています。その子こそが、のちに初代天皇となる神武天皇の父にあたる存在です。つまり玉依姫命は、神武天皇の祖母であり、神話の中では「日本最初の乳母」ともいえる役割を担った女性でした。
乳母神社は、この玉依姫命を祀る神社として伝えられています。
古くからこの地では、「神武天皇を育てた乳母の墓所がここにあった」「乳母を祀った聖地として信仰されてきた」という言い伝えが残されており、それが社名の由来になったと考えられています。神社のそばを流れる神水川は、かつて「飛鳥川」とも呼ばれていたとされ、神代の物語と土地の記憶が重なり合う場所であることを感じさせます。
「乳母」という存在が担ってきた、命を守る役割
注目すべきは、「乳母」という存在が、現代よりもはるかに重い意味を持っていた時代背景です。
栄養状態や医療環境が整っていなかった古代・中世において、乳母は単なる世話役ではなく、命をつなぐ重要な存在でした。母親に代わって乳を与え、子を育て上げる乳母の役割は、そのまま“生命の守り手”であり、深い畏敬の対象でもあったのです。
乳母神社の創建は、そうした「いのちを守り、育てる存在」への感謝と祈りから生まれた信仰の結晶だといえるでしょう。
この神社が、単なる神話の舞台ではなく、実際に人々の暮らしと深く結びつきながら受け継がれてきたことは、幾度もの再建を経てもなお信仰が絶えなかった事実からも明らかです。
今日、乳母神社は大規模な観光地ではありません。しかしその静けさこそが、古代から続く祈りの本質を今に伝えています。
安産、子育て、そして命の継承。
乳母神社の由緒は、現代を生きる私たちにとっても、「いのちをどう迎え、どう守るのか」を改めて問いかけてくれる、貴重な歴史遺産なのです。
いのちをつなぐ思想の継承
乳母神社が静かに語りかけてくるものは、単なる神話や昔話ではありません。
それは、「いのちは守られ、育まれることで未来へつながっていく」という、時代を超えて変わらない真理です。
古代において乳母は、命を預かり、次の世代へと橋渡しをする存在でした。医療も制度も整っていなかった時代、人々は経験と身体感覚、そして祈りによって、母と子の命を守ろうとしてきました。乳母神社は、そうした“いのちを守る知恵”と“養い育てる文化”が、信仰として結晶化した場所だといえるでしょう。
安産大学が大切にしているのも、まさにこの視点です。
出産や子育てを一時的な出来事としてではなく、妊娠期から産後、そして次の世代へと連なる「いのちの連続性」として捉えること。身体の変化に耳を傾け、冷えや不調といった小さなサインを見逃さず、母と子が本来持っている力を引き出していくこと。その根底には、「守るべき体温があり、整えるべき環境がある」という、ごく本質的な考え方があります。
乳母神社に息づく信仰は、現代の医学や科学と対立するものではありません。むしろ、効率や数値では測りきれない、人の身体の知恵を思い出させてくれます。
安産大学は、こうした土地に根づく歴史と記憶を大切にしながら、過去から現在、そして未来へと続く「いのちを守る文化」を学び、伝えていく場でありたいと考えています。
歴史を知ることは、過去に戻ることではなく、未来をよりよく選び取るための土台を知ることです。
乳母神社が今もこの地に在り続けるように、安産大学もまた、「いのちを大切にするまなざし」を、この土地から静かに発信し続けていきます。


